夜景を観に、深夜0時前に車で山の上まで登りに行った。駐車場に車を止めていたら、どこからか猫の鳴く声がしてきた。猫の声って子供の泣き声にも聞こえるから、「え? もしかしてヤバイものが出たのかも…」とか考えてみたけどそんなことはなく、そばの植木に茶とらの丸まった猫が鳴いていた。子猫ではなく立派な成猫。

あまりにもニャーニャー鳴いているので、車から降りて近寄ってみた。最初に手を出した時はビックリしてちょっと首を引っ込めたけど、すぐに撫でて撫でてという感じで私の手元に頭を出してきた。私は幼少期に猫を飼っていたのだがその記憶はほとんどなく、それ以降は犬ばかり飼っていたので、猫の気持ちや言いたいことはよくわからない。でも、この猫が人懐っこくて撫でて欲しがっていることは私にもわかった。

しばらく猫に話しかけながら撫でていた。猫の方も私の足にすりすりしたり気持ちがいい方に首を動かしたりしていた。この猫はかなり人に慣れている猫なのだろう。私の膝の上に躊躇なく乗ってきた。私は膝に猫や犬を乗せた記憶がないので、人生で初めての経験だと思う。猫は私の膝の上で丸くなって気持ちよさそうに目をつむって喉をゴロゴロ鳴らしてる。時折、前足をむにゅむにゅ動かしていたので、もしかしたらお母さんを思い出していたのかもしれない。猫ってお乳を吸う時に手を動かすと聞いていたので、そうだと思った。

膝の上の猫を撫でながら私はいろいろと考えた。毛が少し汚れているので、多分家猫ではないだろうと思う。でも野良猫の割には結構丸々と太っている。飢えてはいないようだ。そしてこの人懐っこさ。もしかしたら家猫だろうか? それとも、元々人に飼われていたのに途中で捨てられてしまったのだろうか。こんな遅い時間に山の頂上の何もない、誰もいない駐車場にいるということは、やはり家のない野良猫なのかもしれない。この猫の家はどこなのだろう。

そのうち、この猫は寒いのか、寂しいのかわからないが、人のぬくもりが必要なんじゃないかと可哀相に思えてきて、どうにもこの猫を連れて帰りたくなってきた。しかし、我が家では猫を飼うことができないと思う。母が家の中で動物を飼うことを嫌がる。それに私はもうすぐアパートに引っ越す。もしかしたら、父の家で飼えるかもしれない、伯父の家で飼えるかもしれない、それか猫好きな友達の家で飼えるかも…といろいろ考えた。でも、いずれにしろ今後私が世話をすることができないので、人に押し付けてしまうことになる。命を持った生き物を “もしかしたら飼ってくれるかもしれない” という不安定な状態でむやみに今の住処から人里へ連れて帰ることは、猫のためにはならないと思う。私が連れて帰らなかったとしても、今の状態で十分満足しているのかもしれないし、人に甘える方法をわかっている猫なので、他の心優しい人が連れて帰るかもしれない。そう思って私は猫を連れて帰ることを諦めた。やはり、自分が世話をできるわけじゃないのに、命ある生き物に対して無責任な行動をとってはダメだ。あの猫は今までそこで暮らして来れたので、私が連れて帰らなかったとしても、これから先も生きていけるだろう。そう納得した。

過去に何度か、野良犬や捨て猫を拾う機会があった。実際に拾って帰ってきたことはないが、そういう動物たちのことは今でも鮮明に覚えている。もうそれぞれの模様は忘れてしまったが、どういう顔付きをして、どういう雰囲気でたたずんでいたかは覚えている。今回の猫のことも、きっと今後忘れることはないだろう。茶とらの丸々と太った寒がりの猫だ。力強く生きていってほしい。御達者で。